2020.12.18 【音に魅せられて】Technics(パナソニック)〈1〉技術に立脚した開発

 パナソニックの高級オーディオブランド「Technics(テクニクス)」は2020年、ブランド誕生から55年を迎えた。パナソニックのオーディオの歴史はラジオ生産から始まり、アンプ、スピーカ、プレヤーと幅広く開発してきた。その間、オーディオブームの過熱、再生メディアの転換、オーディオブームの終焉(しゅうえん)―と時代の流れとともに歩み、数々の名機も生んできた。10年にブランドはいったん終息したものの、ブランド誕生50年を目前に控えた14年に復活。以降、アンプ、スピーカ、プレヤーを投入し話題を呼んでいる。そんな紆余(うよ)曲折の歴史を歩んできたテクニクスは、どのような音作りをして、そしてどのような方向を目指しているのだろうか―。入社時からテクニクス製品の開発に携わり、14年のブランド復活の際にも技術の責任者として関わってきたアプライアンス社テクニクス事業推進室の井谷哲也CTO(最高技術責任者)/チーフエンジニアに、歴史とともに振り返っていただいた。
(聞き手は電波新聞社メディア事業本部 水品唯)

■さかのぼること1931年(昭和6年)

 ―まずはテクニクスの歴史について改めてお伺いします。

 井谷 ブランドは1965年(昭和40年)に誕生していますが、松下電器産業のオーディオの歴史を見ると昭和6年までさかのぼります。当時、NHKがラジオコンクールを行い、そのときに技術陣が奮起しラジオを作り、見事そのコンクールで当選したのが始まりでした。その後、ラジオを普及させるためには特許で縛られていては駄目だという創業者・松下幸之助の思いから、ラジオの特許を公開し、発展に向けて取り組んだと聞いています。

 1935年(昭和10年)には真空管でレコード再生する電気蓄音機「電蓄」を開発し販売を始めました。戦後はラジオ生産を中心に行っていましたが、音響関連では1954年(昭和29年)に阪本楢次が20センチメートルダブルコーンスピーカ「8PW1」(通称・げんこつ)を開発しました。このとき初めてパナソニックブランドを使ったようです。輸出の際にナショナルブランドが使えなかったからです。

◇ステレオ時代へ

 今では当たり前になったステレオが登場したのは1958年(昭和33年)です。レコードがステレオになった年で私が生まれた年です。当時は立体音響と言っていましたが、この後はステレオ製品が主流になっていきます。このころは高度経済成長期で、新築の家には応接間があり、そこには百科事典などを入れた本棚と、横にステレオを置くのが流行でした。その流れに乗り1964年(昭和39年)に誕生したのが家具調ステレオ「飛鳥」です。東大寺正倉院をモチーフにしたデザインは、当時の応接間に合ってヒットしました。余談になりますが、今年発売したコンパクトステレオシステム「SC-C70MK2」は、この飛鳥をモチーフにしています。

SC-C70MK2

◇テクニクス誕生

 この後に「テクニクス」ブランドが誕生することになります。阪本楢次と、部下で石井式リスニングルームを作った石井伸一郎が、当時音響研究所で開発していた製品を何か新しいオーディオ専用のブランドで出したいという思いから作ったと聞いています。第1号の製品は石井が開発した密閉型2ウエイスピーカシステム「Technics1(テクニクスワン)」です。当時のブランド概念は今と違っていて、ブランドはナショナルで「テクニクス」は愛称として使われました。

Technics1

■技術を軸に

 ―Technics1を皮切りに続々と製品を投入していったわけですね。

 井谷 スピーカの後は、プレヤー、セパレートステレオ、アンプなどを発売していきました。1970年(昭和45年)には、世界初のダイレクト・ドライブ方式のターンテーブル「SP-10」を発売。記録メディアの変遷とともにCDプレヤー、DAT、DVDオーディオプレヤーなども発売しました。ダイレクト・ドライブ方式のターンテーブル「SL-1200」は、ディスクジョッキー(DJ)に高く評価されDJの文化を作ったのもテクニクスと言われるようにもなりました。

 「テクニクス」ブランドは"技術(テクノロジー)に立脚したオーディオのブランドを目指したい″という思いから付けたと聞いていますので、技術を軸にした開発をしてきています。

SP-10

■徹底的な物理特性

 ―音作りの考え方はどのようにしていたのでしょうか。

 井谷 当時の全てを知るわけではないですが、文献を読んだり、当時を知る人と話したりすると、テクニクスは「技術に立脚した開発」を目指していましたから、音質から離れたところで仕事していたというのが実態のようです。基本的に「音が良い」ということは「物理特性が良い」ということが必須と考え、徹底的に物理特性にこだわっています。例えばアンプですとひずみ率を抑えることになりますし、ターンテーブルにしてもダイレクト・ドライブ方式にした大きなきっかけは回転精度でした。それこそが当時のテクニクスだったと思います。

■原音再生を追求

 ―このような音が作りたい、こういう音にしたいということよりも技術軸で考えていたということでしょうか。

 井谷 当時はテクニクスの特徴として「原音再生」という言葉を使っていました。当時は今のHi-Fiやハイエンドオーディオとは違い、一般消費者向けの市場でした。戦後の復興で三種の神器(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)を手に入れた後は、より文化的な生活を求めオーディオを手に入れたいという人が多くなっていました。しかし初めてオーディオを買う人が大半で、新入学のお祝いでステレオを買ってもらう時代でした。買う方も売る方も基準が分からなかったことから「原音再生」をうたっていたのではないでしょうか。

 ―今は「原音再生」とはあまり言っていませんね。

 井谷 最近は使っていません。今のハイエンドオーディオ愛好家の方は何十年も追いかけていますから、今さら原音再生と言っている時代ではないのですよね(笑)。そうした背景もあり、復活以降は原音再生とは言っていません。

■まずは技術

 ―これまでのお話を聞いてもテクニクスは技術力が全てということになりますね。

 井谷 私が入社した当時は、本当にこの会社でやっていけるか不安になるくらい優秀な先輩ばかりでした。いわゆる天才肌のような人も多く、会話の途中でいきなり微分方程式を解きながら自ら納得してしまったり、その式を見せて「これならやれるだろう」って言われたり、それこそ何を言っているかよく分からなく、大変でした(笑)。

 ここからは個人的な推測になりますが、創業者が1964年、開発に注力していた大型コンピュータが過当競争になることを予想し、開発をやめる判断をしたことがありました。そのため、当時はコンピュータの開発を行うような優秀な人材の多くが音響の部門にいました。優秀な頭脳がオーディオの開発をしていましたし、研究所で基礎研究もしていましたので、先端技術は多く生まれていたと思っています。ダイレクト・ドライブ方式も無線研究所の優秀な研究者が生み出しましたので。「テクニクスのエンジニアは性能の高い製品を作り、音質は評論家の先生が判断してください」というのが当時のやり方だったかもしれません。

■電子パーツへの気づき

 ―技術により音が良くなるという取り組みで何かエピソードなどはありますか。

 井谷 本来スピーカの音はAC(交流)で鳴りますが、ライン出力の際にDC(直流)が流れるとスピーカが傷みます。それを防ぐためにDCカットをするカップリングコンデンサを入れますが、CDプレヤーを開発していた当時、エンジニアが「コンデンサで音質が変わる」と言いだしました。

 おそらくほかの音響メーカーは既に取り組んでいたとは思いますが、テクニクスにとってはインパクトがありました。その後、電子パーツも音質に重要な影響があるということが分かり、全社的に研究を進めるようになりました。

 当時は松下電子部品が電解コンデンサを作ったり、アナログボリュームをつくったりしていましたし、音響専業メーカーと協業して部品開発をしていましたからノウハウも多く積み上げられました。

■技術は最上位機から

 ―当時からオーディオメーカーは多く存在しましたが、ベンチマークしていた企業はありますか。

 井谷 当時はソニーさんを意識していました。CDのフォーマットをはじめ、規格化の際にはいつも気になる存在でしたね。実際に規格競争などでは常に対立していましたし(笑)。

 ―海外オーディオメーカーも多くありましたが、いかがでしたか。 

 井谷 もちろん意識していないことはなかったと思いますが、もともとテクニクスは松下電器のブランドですから、マス(一般消費者)を追いかけていました。研究開発の段階では常にトップを目指し、そこで培った技術を普及機に落とし込んでいくという戦略です。100万円のアンプを開発し、そこで培った技術を下位機種に展開していくやり方ですね。

 そうした中でダイレクト・ドライブ方式ターンテーブルが生まれてきました。当時、BBC(英国放送協会)などの放送局で採用されたことが大きく、一気に信頼性の評価を得られました。実際にスタジオなどへの提案に注力していましたね。
(つづく)

次回は井谷CTOとテクニクスの関わりについて聞きます。

【井谷哲也氏プロフィル】パナソニック アプライアンス社テクニクス事業推進室CTO(最高技術責任者)/チーフエンジニア

 いたに・てつや 1958年1月20日生まれ。京都市出身。岡山大学工学部電気工学科卒。1980年、松下電器産業(現パナソニック)入社。81年、ステレオ事業部CDプレーヤ開発プロジェクト配属マイコン担当。82年、CDプレヤー1号機「SL-P10」発売。85年、ポータブルCDプレヤー1号機「SL-XP7」発売。86年、MLP(レーザーディスク)プロジェクト異動 映像信号処理担当。90年、世界初のデジタルTBC搭載「LX-1000」発売。95年、光ディスク事業部DVDプレーヤプロジェクト異動 映像信号処理担当。98年、世界初のプログレッシブDVDプレヤー「DVD-H1000」発売。2004年、HDMI搭載DVDプレヤー「DVD-S97」。05年、BDプレーヤプロジェクト異動 再生系映像信号処理担当/PHL Reference Chroma Processor/3Dプロジェクト。10年、ホームAVBU(NWBG)発足 オーディオ・ビデオ先行開発担当。13年、高級オーディオプロジェクト発足プロジェクトリーダー。14年、Technics復活。15年から現職。