2023.10.04 弁護士から経営へ、積極経営けん引のミネベアミツミ・貝沼会長兼CEOに聞く
取材にこたえる貝沼氏
ミネベアミツミは超精密機械加工技術とエレクトロニクス技術を融合させ、「エレクトロ・メカニクス・ソリューションズ」を掲げ、「8本槍」の主事業を軸に、M&Aなども展開する。弁護士でもあり、積極経営をけん引する貝沼由久会長兼CEOに、経営論の一端を聞いた。
―弁護士になられた経過は。
貝沼氏 今夏、高校野球で優勝した慶応高校で伸び伸び過ごしました。そのころ、アメリカを1周する機会があって、「国際的な仕事をいずれはしたい」と思うようになった。またハーバード大学を目の当たりにして、ここで学びたいと憧れた。それがのちの進路を選ぶときの下地になっていると思う。
慶応大学へ進むとき、経済学部が第一志望だったが、第二志望の法学部へ。ただ、20歳前後の若者に、将来の仕事のイメージなど持てるはずもないし、満員電車に揺られてサラリーマンをするというイメージはわかない中で、将来を考えていた。
〇自分でマネジメント
卒業が近づいたとき、司法試験受験をと思い立って、しかし教授からは成功するとは思ってもらえず、無理だろうという反応だった。そこで反骨心に火が付き、勉強に打ち込んだ。おかげで合格できました。
修習に入り、実務修習は横浜。その時、やはりお世話になっていた弁護事務所の弁護士さんが、雨の中で傘を持ってたたずんでいるのを見て、満員電車のときと同じく、こうなりたくないと思った。いわば、自分で自分をマネジメントできる仕事をしたいと考えたんでしょう。
また、国際的な仕事にもあこがれていたので、渉外弁護士の道へ。さらに「留学したい」という思いがあって、ハーバード大学ロースクールを修了。米国の事務所でキャリアを進めました。
〇想定外で
ーただ、経営の道に入るのは後年のことですね。
貝沼氏 米国に行く前、義父のミネベアの高橋高見会長は、「それはいい」と喜んで送り出してくれた。ただ、「うちの会社に入らないか」と声がかかるようになった。どうやら、旧知の経済人の方から「アメリカの経営者には弁護士が多い」と教えられていたことも背景にあったようだ。
もっとも、私も帰国を考えてはいた。やはり白人社会の中で競争に勝つのは大変だと。そんなあるとき、米本土と日本の中間地点のハワイで義父に会う時があり、ある外食のお店を例に出して「こういう商売を日本でできるといいですね」と水を向けてみた。
すると、「そんなスモールビジネスではなく、うちに入れ」です。ただ、「週3日、半日でいいから、法務担当役員として入ってくれ」と。想定外の打診でした。でも、これならこなせるかと引き受けた。ところが、知る人ぞ知る話ですが、会長は指示魔で、毎日、24時間のようにカタカナのファクスが送られてきて、月水金の半日どころではなくなった。
会長が急逝したのはそのわずか半年後。病床でもうわごとのように、仕事の話ばかりしていた。ただ、そんなときに「君はできる」とほめてくれた。それを意気に感じてしまった。そこから、後継になる仕事が始まった。
会長はある著名な経営者とも懇意にしていて、交流していた。その方は私の後押しもしてくれて、後にビジネスでもお世話になりました。
〇理屈を大事に
ーただ、弁護士とは畑は違いますね。
貝沼氏 法律事務所と企業の文化は違う。泳ぎ方も知らないのにプールに放り込まれたようなもの。元々、お金儲けに興味がなかったので戸惑った。それでも、赤字だった関連会社の経営を立て直すのは面白い仕事で、やりがいを感じた。私は経営の専門家ではなかったが、法律家として論理的に、つまり理屈に合うかどうかでものを考えるのは役に立った。
たとえば、工場で課題になるのは歩留まり。ラインを見ると、そこに何かの問題があって、理屈に合わない工程があると気になる。「どうなっているんですか」「どうしてここでこれをやっているんですか」と。そういう素人としての視点も大事にして、改善を重ねた結果、うまくいった。現場にずっといる人は、ある種、日常化しているので見えない面がある。
〇経営者
ー大事にしていることは。
貝沼氏 お見合い落球はよくない。ボールが上がったら「俺が捕球する」と声をかける企業にしたい。失敗をおそれないこと。
その意味でも、経営者は先頭に立って汗をかくことが大事。四六時中、仕事しているくらいでないとダメだと自分では思っている。一番給料もらっているのだから。たとえばアポをお願いするときも、秘書任せにせず自分で動く。それが礼儀と考えている。
現場にもどんどん行くべき。それに、赤字だから事業を閉めるというのは簡単。病気と同じで、正しく診断して手を打てば、必ず改善します。
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※このほか、M&A論なども語っていただいた。
(5日の電波新聞/電波新聞デジタルで詳報予定です)