2020.11.02 【NHK技研90周年特集】NHK放送技術研究所 開所90周年 多くの実績と足跡残す

NHK技研90周年ロゴ

技研の初代建物(上)と61年完成の2代目建物(左)技研の初代建物(上)と61年完成の2代目建物(左)

01年完成の現在の技研01年完成の現在の技研

地デジや4K8Kなど貢献

30年に向け新たな挑戦

 NHK放送技術研究所(以下技研)が開所90周年を迎えた。開所は1930年(昭和5年)6月1日。放送用機材の基礎研究から研究開発までを行う国内唯一の研究所として、これまで多くの実績と足跡を残している。ラジオ放送開始100年を迎える2025年、技研開所100周年を迎える30年に向け、技研の新たな挑戦がスタートした。

 1925年に日本でラジオ放送が始まり、53年にはテレビの本放送がNHKと日本テレビ放送網によりスタートした。

 テレビ放送開始から67年経過するが、放送技術は大きく変わった。その技術革新を中心的に進めてきたのが技研だ。

 技研は放送機器メーカーや素材メーカー、大学などの協力を得て放送方式、基礎、撮像、記録、ディスプレイなど広範な分野で研究開発活動を推進してきた。

 ▼五輪は放送技術を変える

 今年開催予定だった東京オリンピック・パラリンピックは、新型コロナウイルス感染症拡大のため来年に延期されたが、五輪の放送で毎回新しい放送技術が視聴者を楽しませてくれるのは技研の開発の成果でもある。

 64年10月10日の東京五輪開会式はテレビのカラー放送の先駆けとなり、その後のカラーテレビブームをもたらした。

 東京五輪のカラー放送を実現したのは、イメージオルシコンと呼ばれる撮像管を2本使用した「分離輝度二撮像管式カラーカメラ」。現在の放送で当たり前になっているスローモーションVTRも、東京五輪で初めて使用した。

 アナウンサーが動きながら口元で実況放送できるよう開発された接話マイクも、東京五輪があってこそ。

 ヘリコプタ中継のためのアンテナ装置もこの時本格的にデビューしている。

 東京五輪のカラー放送と同時に、技研の総力の結集として世界で初めて五輪競技を衛星経由で世界へ放送した。

 五輪の衛星放送実現には前段があった。五輪前年の63年11月23日、米国から日本へ衛星中継が行われるはずだったが、ケネディ大統領の暗殺事件があり、急きょ想定外の「ケネディ大統領暗殺」のニュース映像に変わった。

 東京五輪のカラー放送や衛星放送の実現は、普段の技研の研究成果のたまもの。「技研ここにあり」を世界に訴えることができたと、技研OBは当時の快挙を振り返る。

 放送のデジタル化は放送の概念を大きく変えた。特に東日本大震災に見舞われた2011年の7月24日正午をもってテレビの地上アナログ放送の停波(岩手、宮城、福島の被災3県は12年3月31日)と、デジタル放送の開始はテレビの大きな変革期を意味している。

 ▼地デジ日本方式の普及に貢献

 日本の地上デジタル放送方式「ISDB-T」が、中南米で地デジの標準方式になっていることは知る人ぞ知る事実。

 車での高速移動でも受信可能、携帯電話などモバイル端末での受信、つまりワンセグサービスやインターネットと組み合わせれば、双方向のデータサービスも可能といった日本方式の特徴は中南米のほとんどや、フィリピンなどアジアの一部で受け入れられた。

 日本の地デジ方式を海外で普及させるため総務省や電波産業会(ARIB)、放送機器・通信機メーカーを含めた官民一体で取り組んだが、技研の職員も現地に赴いて技術指導した。

 日本方式の中南米普及は「南米の盟主」ブラジルが海外で初めて採用を決めてから。以降、相次ぎ周辺国が採用、中米諸国へと広まった。

 ブラジルが日本方式採用を正式に決定したのは2006年。当時は08年に日本のブラジル移民100周年を控えていたことから、そのご祝儀の意味もあると冗談が飛んだ。

 もちろん日本方式の特徴の評価や日本技術の優秀性、アフターフォローなどが他国の方式より優れていたからこそ。

 当時は米国、欧州、中国がそれぞれの方式でブラジルへ激しい売り込み攻勢をかけていた状況下での勝利となった。

 中南米での普及活動や技術指導では「スペイン語、英語を織り交ぜての説明で苦労した」と現地に赴いた技研の担当者。日頃の努力と熱意の成果が実績となって報われたと語っている。

 こうした努力の結果、日本発の地デジ方式は現時点で海外19カ国に採用されている。

 技研がハイビジョンを超える超高精細映像の研究を始めたのは1995年。2000年以降には走査線数4千本級の超高精細映像システムの研究へと進展していった。

 この走査線数4千本超の映像が「スーパーハイビジョン」(SHV)と呼ばれるようになったのは04年から。

 ▼世界初の8K放送

 18年12月1日に世界で初めてSHV(4K8K)放送の本放送が始まった。それ以前には12年のロンドン五輪、16年のリオデジャネイロ五輪でパブリックビューイングにより8K放送が一般公開されている。

 技研が80周年を迎えた10年当時、SHVは20年には試験放送というのが技研内部の目標だったが、18年末に前倒しされて本放送がスタートしている。

 SHVは放送だけでなく、医学、教育をはじめ多くの分野で用途が見込まれる。このため東日本大震災で落ち込んだ国内産業の復興や米国CESでの4K展示の活況から、4K8K本放送の早期開始を求める業界の声が強まり、関係者は急ピッチで4K8K放送開始の体制づくりに乗りだした。

 ▼新しい時代に向けて

 技研は18年から20年度までの3カ年計画の途上にある。SHV、3D、AR/VR技術を融合したコンテンツを特定の機器に依存しない統一的な方式で受信できる「ダイバースビジョン」の実用化に向け研究中だ。

 インターネットと放送の融合、放送と通信の連携という新しい放送の時代に備えて技研の役割は、一段と重要になっている。

 ▼研究成果は技研公開で披露

 現在のNHK技研(東京都世田谷区砧)の建物は3代目となる。01年10月に完成し、運用は翌年4月から。技研は毎年5月、日頃の研究成果を一般に発表する場として「技研公開」を開催している。

 技研公開には多くの一般視聴者、民放局の技術者、専門学校や大学の学生ら、毎年約2万人が訪れる。

 一般公開の会期4日間のうち週末の土曜、日曜日は子ども連れの近隣の住民でにぎわう。子どもが熱心に展示物をのぞき込む姿は珍しくない。

 子どもたちが毎日楽しんでいるテレビ番組がどうつくられているのか。子どもたちには興味津々だろう。

 公開期間中に毎年訪れる「技研マニア」もいる。こうした熱心な人に「昨年より改善したね」と褒められるのが一番うれしい、と説明員。

 現在の建物は1961年に建設された2代目の建て替えだが、2代目の研究所は学校の校舎の趣。ある技研OBは「まるで教室で研究発表している感じだった」と述懐している。