2021.02.17 【この一冊】 「1984年に生まれて」ハオ・ジンファン著 櫻庭ゆみ子訳 中央公論新社

 新型コロナウイルス禍の発生国でありながら、強権的な封じ込めで感染拡大を抑え、いち早く経済低迷から脱した中国。1984年はその中国の「資本主義化」が始動した年だ。

 ソ連型共産主義の監視社会を描いたジョージ・オーウェル『1984年』。本書は、その全体主義国家のありようを匂わせる「カレラハ オマエヲ ミテイル」という言葉を恐れる女性「私」とその父の物語を軸に重層的な構造で編まれた「自伝体小説」だ。

 銀行と企業の改革が行われた「会社元年」の84年に生まれた「私」は、大学の同窓や旧友たちが軽やかに、時に苦渋に満ちながらも活動し、人生の歩みを進める中、「自由」を巡る思索にとらわれていく。

 「こんなにたくさんの選択肢があって、不自由なんて言えるの?」。そう反論されると沈黙するしかない。やがて「私」は虚無感に沈み、失恋を機に精神的な混乱を来してしまう…。

 84年は、勤務先の工場と英国の企業との技術提携の話をまとめるため(つまり、資本主義化に手を付けるため)父が故郷を離れ深圳に向かった年でもある。出奔の真の理由は痛切な記憶とともに、最後にようやく明かされる。物語は「私」の内面世界への沈潜とそこからの回復、歴史に翻弄された父の悔恨と償いに向けた彷徨が交互に語られる。

 国共内戦後の共和国成立、大躍進運動、文化大革命―と現代史の奔流になすすべもなく振り回される父母や祖父母世代の姿を描きながら、今なおセンシティブな天安門事件の言及は慎重に回避するなど、体制内で活動する作家の用心深さも感じさせる。

 ロサンゼルス五輪のテレビ中継で初めて見る体操で自国選手の活躍に目を奪われる母、『ドラえもん』や『ベルサイユのばら』など日本漫画を夢中で読んだ幼少期など、改革開放後の中国で体験された庶民の風物の描写も興味深い。

 「私」が妄想の中で『1984年』の主人公ウィンストンと交わす会話が暗示的。中国が素朴な社会主義を捨てたこの年は、オーウェルの想像したディストピア世界の分岐点なのだろうか。

 建国100周年に当たる2049年に「世界一の製造強国」を目指す中国。超大国米国をしのごうと猛烈な速度で情報が飛び交い、無力な者をなぎ倒しながら経済が突き進む。文革での下放に思春期を奪われ、「走資派」の糾弾に手を染めざるを得なかった父を持つ一人の若者の痛々しい心理が極限ともいえる筆致でつづられる。

 同時に、「今の中国は本当に自由って言えるの?」と声ひそかに、だが真率に内省を漏らせる作家の自由にどこか希望も感じさせる。

 著者は「私」と同じ1984年生まれ。『折りたたみ北京』で米国のSF賞「ヒューゴー賞」を受賞。

 櫻庭ゆみ子訳、中央公論新社。416ページ、2000円(税別)。