2021.06.22 【備えるー水害からの教訓】〈2〉道半ば浮かんだ閉業の文字 顧客からの着信に支えられ
パナランドがんばるでは、多めに仕入れた商品の大半が泥水をかぶった(写真提供=パナソニックLE九州社)
「もう区切りなのかもな」。
昨年7月4日の球磨川氾濫で、店舗兼住宅の2階まで浸水したパナランド五島(熊本県人吉市)の五島敬士社長と妻の尚美さんは、一晩で奪われた日常と変わり果てた店や街並みを前に立ち尽くすことしかできなかった。
流域の13カ所で決壊や氾濫が起きた豪雨被害。状況をのみ込むことすらできない中、尚美さんの脳裏には「閉業」の二文字さえ浮かんでいた。
「おたくはやめないよね?」。顧客からの着信が入る。店舗の固定電話は使えなくなっていたが、五島社長と尚美さんの携帯電話には顧客からの電話が次々とかかってくる。
「必要としているお客さまがいる。やっぱり続けなきゃ」。五島社長夫妻の元には、毎日のように顧客から食事が届き、店内の備品や什器(じゅうき)もプレゼントされた。
支援に背中を押されるように、五島社長らは店の片付けの合間を見て顧客の元へ向かい復旧へ踏み出した。
それでも待っている
「道具もない、車もない。それでもお客さまは待っている」。パナランドがんばる(同市)は、パソコンなどの備品や11台あった社用車が全て使えなくなっていた。
あらかじめ店の固定電話から辻敬八郎社長の携帯電話に転送するようにしていたため、顧客からの電話を取ることはできた。店の片付けもままならない中、被災の翌日から営業を再開。スタッフ9人が対応に追われた。
泥が乾き切らない道を、徒歩と自転車で顧客の元へと向かう。いざ作業に当たろうとすると、普段使っている道具が手元にないことを思い出す。備品も十分ではなかったが、使えるものは洗って使った。
店には、6月に入社したばかりのパート従業員がいた。この時期は営業活動に励んでいるはずだった。「嫌がることなく一緒に片付けを手伝ってくれた」と辻社長。本来の業務に戻ったのは、12月に入ってからだった。
被災から復旧まで約1カ月を要した。知人の職人の助けもあり、8月6日には片付けが終了。10月23日には「店を見てほしい」と、「復活祭」と銘打った個展を開いた。2日間で120組の顧客が来店し復旧を祝ってくれた。
支援があったから
水害発生時にヘリコプターで救出されたパナランド犬童坂本店(熊本県八代市)の犬童俊二社長は翌7月5日、避難先の中学校から店の様子を見に戻った。
普段なら片道約15分の道のりだが道路は寸断され、迂回(うかい)しながら約1時間かけて着いた先に、変わり果てた店の姿があった。
店先の冷蔵庫には泥が詰まり、テレビの液晶にも泥水が混じる。避難させた3台の社用車も流されていた。倉庫が無事だったこと以外に救いはなかった。
さっそく顧客からは商品の発注が来た。衣類を洗うための洗濯機を求める人が多く「買い替えたばかりの人もいて心苦しかった」と犬童社長。被害の大きかった坂本店は解体を決めた。犬童社長は現在、八代店のそばにマンションを借りて暮らしている。
坂本店は道の駅坂本の隣接地に来月3日オープン予定の「さかもと復興商店街」に入ることにした。電池や延長コードなどの小物を取り扱う予定で、地域とともに復興への足並みをそろえる。
自らが被災しながらも顧客のため奔走した地域店は皆「支援があったから復旧できた」と口をそろえた。
地域店が営業を続けられた陰には、復旧の手助けをしようと現地入りした〝電器店仲間〟の思いとメーカー販売会社などの協力があった。(つづく)