2020.11.25 【次世代放送技術をよむ NHK技研90周年企画】オブジェクトベース音響システム㊤
1925年にモノ音声によるラジオ放送が開始されて以来、18年に開始した8K放送における22.2マルチチャンネル音響システムに至るまで、放送番組の音声は全てチャンネルベース音響システム(チャンネルベース音響)と呼ばれる音響方式で制作されてきた。
チャンネルベース音響とは、スタジオで制作された番組の音声信号を、そのまま視聴者に届ける仕組みである。番組制作者が制作現場でモニターしている音声を視聴者のご家庭でも同じように再現できるので、番組の品質管理に適した方式と言える。
一方で、チャンネルベース音響では、視聴者側で番組音声を再生する際に、視聴者の好みに合わせて特定の音だけを強調した再生などはできないという課題があった。
番組の音声に対して視聴者から調節の要望が特に多いものは、ダイアログ(セリフやナレーション)の聞こえの改善に関するものである。BGMや効果音など背景音のレベルが大きくなると、ダイアログが聞き取りにくくなるのは、多くの人が一度は経験したことがあるだろう。
もちろん、制作時にダイアログのレベルを大きくすれば聞き取りやすさは向上する。しかし、ダイアログばかりが目立つと番組の臨場感や没入感を損なってしまうため、音声担当者はダイアログの聞こえやすさと番組の演出効果が両立するようにレベルバランスを調節している。
にもかかわらず、依然としてダイアログの聞こえについて改善要望が多く寄せられる背景には、個々の視聴者の好みや聴力の違いと、受信機の再生音量や周囲の騒音レベルなどの聴取条件が複雑に影響し合う事情がある。
過去に、NHK技研では一般の視聴者に対して、ダイアログと背景音の好みのレベルバランスに関する主観評価実験を行った。その結果、同じ聴取環境であっても、聴取者によって好みのレベルバランスは大きく異なることが明らかになった。つまり、1種類のレベルバランスしかないチャンネルベース音響の番組音声では、全ての視聴者に満足してもらえないことになる。
また、レベルバランスだけでなく、同一の番組でも個々の視聴者が必要とするダイアログは多様である。近年の在留外国人の増加に対応した複数の言語による放送や、目の不自由な方向けの解説放送も重要度を増している。
一方、スポーツ番組では、競技会場の背景音だけで構成されたダイアログのない番組音声への要望も少なくない。このように、チャンネルベース音響では、全ての視聴者を満足させることは困難になりつつある。
そこでNHK技研では、チャンネルベース音響では提供できない、視聴者の好みに合わせて番組の再生音をカスタマイズできる次世代の音声サービスの実現を目指し、オブジェクトベース音響システム(オブジェクトベース音響)の研究・開発に着手した。(つづく)
〈筆者=テレビ方式研究部・杉本岳大主任研究員〉
(次回はオブジェクトベース音響システム㊦を12月2日掲載予定)