2022.09.28 【関西エレクトロニクス産業特集】モノづくりのまち〝東大阪市〟 産学官連携で次世代につなぐ 町工場と地域住民、交流を活発化

工場と住宅が混在する東大阪市。市内には約6000の町工場が集積する

 大阪府中部に位置する東大阪市は、モノづくりのまちとして名を広めてきた。約60000の町工場が多種多様な工業製品を製造するが、時代の流れとともに地域住民との関係性や事業承継が課題に。これに対し町工場は、行政や大学とも連携し、次世代にモノづくりをつないでいくため、新たな一歩を踏み出している。

 同市は、面積約62平方キロメートル、人口約50万人の中核市だ。大阪市、八尾市、大東市、奈良県に隣接し、難波や梅田といった都心へのアクセスがよく、これらのベッドタウンともなっている。

 市内には、近畿大学や大阪商業大学など4大学がある学生の街でもある。また、花園ラグビー場は2019年ラグビーワールドカップの開催地となるなど、ラグビーの聖地とも呼ばれている。

 市の最大の特徴は、多種多様なモノづくり企業の集積だ。市によると、市内製造事業者数は5954で全国5位、政令指定都市を除くと全国1位の多さ。事業所密度は1平方キロメートル当たり115事業所と全国トップだ。

 東大阪市のモノづくりは江戸時代前までさかのぼることができる。河内鋳物や生駒山麓の急流を利用した水車による伸線工業、さらに大和川の付け替えで生まれた埋め立て地で木綿産業が栄えた。

 これらの工業を源とし、鋳物工業は機械・金属工業の発展を促進。伸線工業は釘や金網、ボルトなど加工産業に拡大した。木綿作業が衰退した後には、その従事者の転業や新たな技術習得により、歯ブラシやボタン工業なども始まった。

 現在の東大阪市では金属製品をはじめとして、プラスチック製品、歯ブラシ、電子機器、環境・通信技術関連などさまざまな企業が集まる。その約9割は、従業員数20人未満の町工場。その技術はインフラを支えるネジや航空機の部品など、高い技術が求められる場でも活躍している。

 全国にモノづくりのまちはあるが、東大阪市の強みについて、大阪商業大学総合経営学部の粂野博行教授は、「ニッチ分野を含む幅広い中小企業が数多く存在し、その企業同士でネットワークができあがっている」と指摘する。顧客の要望に対し、町工場同士で連携して短期間で高品質な納品ができるのだ。

 最盛期のバブル期には1万を超える町工場があったが、現在はその6割に満たない数にまで減少した。それは、強みであった町工場のネットワークがほころび始めたことを意味する。

 その大きな要因となったのが住工混在問題だ。承継者不足などで工場が廃業すると、都心へ近い立地の良さから跡地が住宅地に転用され、工場と住宅が入り混じったまちへ変化。工場からの音や臭い、振動が地域住民との間でトラブルに発展した。それが町工場の操業に支障を来し、余力のある企業は他所へ移転するなど、事業所数減少に拍車をかけることとなった。

 この状況に対して市は13年、「東大阪市住工共生のまちづくり条例」を施行。住環境だけでなく町工場の操業環境を守ろうとする側面が、「全国的にもめずらしく特徴的な条例だ」(市の担当者)という。

 同条例には、準工業地域の一部や工業地域に住宅を建設する際には、市への報告や周囲の町工場への周知を建築主の責務とする項目もある。

 地域住民と町工場との相互理解を目指してきた東大阪市。しかし、町工場は、音や臭いを外部にもらさないようシャッターを閉めて操業するなど、町工場は閉ざされた空間に。双方の理解を深める機会がなかった。

 膠着(こうちゃく)状態を打開したのは、18年にスタートしたオープンファクトリー「こーばへ行こう!」だ。きっかけは、市が19年のラグビーワールドカップに向けて近畿大学に委託した都市ブランド形成推進事業。近大はモノづくりを国内外にアピールしようと、町工場と地域住民との関係構築だけでなく観光や地方創生も視野に、オープンファクトリーを提案した。

 初年度は盛光SCMの製造現場を開放し、ラグビーアートの展示やワークショップも実施。700人超が参加し、成功裏に終えた。翌年からは同社の草場寛子社長が実行委員長を務め、19、20年はいずれも2社、21年は12社が参加。

 地域住民は、日頃は閉ざされた工場に足を踏み入れ、モノづくりを目の当たりにすることで、町工場への理解を示し、地域の誇りと感じられるようになった。町工場にとっても、子どもたちの輝く目が、従業員のモチベーションアップにつながるなど予期せず収穫があったという。

 5回目となる今年は計24社が参加する。草場委員長は「完成品しか見る機会がない消費者に、モノづくりの手間や職人の技を見てもらうのが目的の一つ。さらに事業承継の鍵は〝人〟であり、来場した子どもたちの中には、いつか一緒に働ける子がいるかもしれない」と語る。

 モノづくりを絶やさないため、小さな町工場同士が手を結び合い、行政、大学、さらには地域住民も共に走り続ける東大阪市。最盛期の活気を新たな形で取り戻す日は近い。