2020.12.02 【次世代放送技術をよむ NHK技研90周年企画】オブジェクトベース音響システム㊦
オブジェクトベース音響とは、個別の音声信号(音声オブジェクト)を音響メタデータで制御してレンダラーで再生する音響方式であり、チャンネルベース音響ではスタジオで完結していたミキシングを、一部視聴者に委ねられる点が特徴となっている。
音響メタデータには番組における各音声オブジェクトの属性や役割が記述されており、言わば番組音声の設計図である。
スタジオで制作された音声オブジェクトと音響メタデータは、それぞれ符号化されて放送局から家庭まで伝送される。家庭では、レンダラーと呼ばれる再生装置が伝送されてきた音声オブジェクトと音響メタデータを組み合わせて番組音声を構築し、各家庭のスピーカの個数・配置に合わせて再生音を出力する。
このような仕組みを生かすと、聞きやすいようにダイアログのレベルを調節する・スポーツ番組の視聴時に異なる複数の解説から自分の興味に合わせたものを選択して聞く・バンド演奏の中から興味のある楽器だけを取り出して聴く、といった新しい番組の楽しみ方を提供できるようになる。
NHK技研では、オブジェクトベース音響による放送サービスの実現に向けて、ITU-R(国際電気通信連合無線通信部門)、SMPTE(米国映画テレビ技術者協会)、MPEG(Moving Picture Experts Group)などの標準化団体において、オブジェクトベース音響の実用化に係る規格の策定を推進するとともに、規格に準拠した放送機器を開発することで機能の検証を行ってきた。
音響メタデータとしては、ITU-RおよびSMPTEで規格化されたシリアル伝送対応のAudio Definition Model(S-ADM)を採用し、リアルタイム送出装置を開発した。また、制作スタジオで番組音声をモニタリングするための、ITU-R勧告準拠の制作用レンダラーを開発した。
符号化装置としては、オブジェクトベース音響に対応可能なMPEG-H 3D Audioを用いたリアルタイム装置を開発するとともに、家庭で番組音声をカスタマイズして再生するためのレンダラーを実装している。
18年度には、開発したこれらの機器を用い、総務省の委託研究における地上放送高度化方式開発の一環として、東京地区と名古屋地区で大規模な野外伝送実験を実施し、実用性を検証した。復号・再生側では、音声フォーマットの変換・言語の切り替え・ダイアログと背景音とのレベルバランス変更の機能が、インタラクティブに操作可能であることを確認した。
オブジェクトベース音響による音声サービスの可能性は、紹介した範囲にとどまらない。あらゆる音声オブジェクトを仮想の3次元音空間内に配置し、音空間内の任意の位置の音場を表現できるフルオブジェクトベース音響へと進化することで、視聴者の自由な移動・姿勢に追従可能な、より臨場感の高い音声サービスを提供できるようになる。
なお、NHK技研が目指すオブジェクトベース音響を用いた次世代の音声サービスについては、Webページ(https://www.nhk.or.jp/strl/english/ibc2020/b6.html)に詳しい仕組みとデモコンテンツを公開している。
今後は、オブジェクトベース音響における音の空間表現力を一層高めながら、AR/VRやダイバースビジョンなどのより魅力的な放送サービスの開発を進めていく。
(この項おわり)
〈筆者=テレビ方式研究部・杉本岳大主任研究員〉
(次回はテレビ視聴ロボット㊤を12月9日掲載予定)