2020.12.29 【メーカーズ ヒストリー】アキュフェーズ物語〈3〉創業翌年には第1号モデル

パワーアンプP-300、プリアンプC-200、AM/FMチューナT-100

■春日二郎氏の起業精神

 春日二郎氏の起業原点は、トリオの前身である春日無線電機商会を設立した1946年にさかのぼる。戦前の20代には通信士として戦地(中国)に赴いていたが体調を崩してしまい、病気治療のために郷里(長野県宮田村)に帰り、闘病生活を余儀なくされている。当時、不治の病といわれた肺結核には、これといった特効薬もないために「大気自然療法」に頼り、雪の降る寒中でも窓を開け放してひたすら体力回復に努めたといわれる。

 難病を克服しただけでも奇跡に近いが、終戦の翌年には早くも自らの技術力を生かして起業したチャレンジ精神には驚くほかない。

 起業といえば、トリオ時代にはアメリカ・ケンウッドの設立にも携わっている。さらに50代でアキュフェーズ創業といったように、目標や意図の異なる新しい三つのブランドを立ち上げている。同氏は生前、「価値ある仕事は必ず不思議な力に助けられる」という信念を持っていたので、「不安はなかった」と語っていた。その折りに付け加えるように新約聖書にも「狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、これより入る者多し。生命にいたる門は狭く、その路は細く、これを見出すものは少なし」とあるではないか、と物静かに淡々と話していたことを想起する。

■第1号モデル好評で好調なスタート

 アキュフェーズ・ブランドの第1号モデルであるパワーアンプP-300、プリアンプC-200、AM/FMチューナT-100が発売されたのは創業翌年の73年と、わずか1年という短時日であったけれど、マニアからの評価も高く、売れ行きもよかった。

 故出原真澄氏(アキュフェーズ3代目社長)や、現会長の齋藤重正氏(同5代目社長)ら春日二郎氏を慕って馳せ参じた部下たちがトリオ時代には高価格になるため諦めていた「最高を目指す」Hi-Fiコンポの開発に精魂込めて取り組み、その出色の完成度がコンポ・グランプリ(雑誌社主催)の金賞(P-300)に輝くなど、新発足の船出を見事に飾った(注:写真は前回掲載)。

3代目社長の出原真澄氏

 10人でスタートした新会社の社員数も、第1号モデルを発売した1年後には60人近くに増えていた。「究極の音創り」に挑む春日氏を信奉するオーディオ大好き人間ばかりで、同氏を慕うトリオ時代の部下が多かった。新発足した同社を歓迎したのは、常連客であるマニア層を中心に堅実な経営にいそしむオーディオ専門店も同じで、「第1号モデルが完成したらぜひとも扱わせてほしい」という声が秋葉原の有力店などから寄せられていた。国内の取扱店選びとなると、営業センス抜群の春日仲一氏の出番となる。

 トリオ商事社長として国内営業を統括していた同氏には、長年にわたって築いてきた人脈があり「ぜひとも扱ってほしい」と頼めばまず断られる心配はなかったからだ。(つづく)