2020.09.30 「三池炭鉱」の炭鉱電車を記録に残す三井化学専用線廃止でプロジェクト
大牟田市内を走る電車
三井化学は、創業地である福岡県大牟田市の大牟田工場で原材料の搬入などに使用してきた三井化学専用線(旧三池炭鉱専用鉄道)の廃止に伴って、記念イベント「ありがとう 炭鉱電車プロジェクト」を展開している。国内最大規模だった三池炭鉱から産出された石炭を運搬し、国内の高度成長期のエネルギーを支えた炭鉱電車を記録に残す取り組みを進めている。
旧三池炭鉱専用鉄道は、採掘された石炭などを運搬するため、1891(明治24)年に蒸気機関車の運行が始まった。炭鉱が最盛期を迎えた1960年代には支線を含む総延長は約18.5キロメートルに及び、炭鉱従業員の通勤などにも利用された。近隣には化学産業が興り、石炭は工場内などで消費されたり、一部は三池港などから輸出されたりすることもあった。電車は街の風景となり、住民らからは「炭鉱電車」の愛称で親しまれるようになったという。
だが、石炭産業の衰退とともに縮小され、97年に三池炭鉱が閉山すると、1.8キロメートルのみが現在の三井化学に譲渡。JR大牟田駅近くの仮屋川操車場まで、当時の車両などを活用し、大牟田工場の化学製品を運搬するなどした。
最近では、毎朝8時半-9時半ごろの2往復だけ原材料の液体塩素や硝酸などを工場内に搬入するためだけに利用されていたが、20年5月7日に廃止された。三池炭鉱専用鉄道敷跡は15年に「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産にも登録されている。
炭鉱電車は、赤い車体が特徴。廃止まで稼働していた5台(20トン車両3台、45トン2台)のうち、20トン車両は1915-17年に製造されたもので、補修しながら100年以上稼働してきた。
同市石炭産業科学館の坂井義哉館長(57)は、生まれ育った実家が大牟田工場の近くだという。「幼いころは、貨車の入れ替え作業の音などが響いていた。一般の住民たちは炭鉱自体にはなかなか近づけない。だから、街を走る炭鉱電車の方に、強い郷愁を感じるはず。最後まで本当によく電車は走ってくれた」と語る。
プロジェクトではまず、炭鉱電車にまつわる音を収集。走行音やモーター音、貨車を引っ張る音、線路がきしむ音、踏切音、遮断機の音などを改めて録音し「音の資産」として記録。さらに、音楽アーティストと連携し、音を組み合わせていくことで楽曲にも仕上げた。
また、メモリアル映像も残す。大牟田を舞台にした作品「いのちスケッチ」(19年公開)などを撮影した縁で、映画監督の瀬木直貴氏に制作を依頼。4月ごろに数日かけて撮影した動画作品2本ができあがり、9月下旬、大牟田市などに贈呈し、公開も始めた。
動画作品「紅い恋人編」(約11分)では、かつての電車の映像や、運行に関わってきた元運転士と家族らが語る思い出などをまとめた。地域の生活の身近にあった炭鉱電車を振り返る。
「炭鉱電車の一日編」(約13分20秒)では、大牟田工場横にある専用の宮浦駅などで、運行や整備に携わる社員らの一日の仕事を追いかけた。ハンマーで車輪などをたたいて音を聞き分ける出発前検査の様子なども撮影されている。
三井化学・大牟田工場総務部の担当者は「歴史ある電車を、そのままなくしてしまうのは惜しかった」と話す。同社コーポレートコミュニケーション部は「100年走り続けてくれた炭鉱電車への感謝の気持ちと、残したレガシーを讃える機運を盛り上げていきたい」と話している。
動画や音は、三井化学のホームページなどから見たり聴いたりできる。炭鉱電車については、線路の走行が可能な状態のまま管理する動態保存を目指して、関係者らと検討を進めているという。