2020.09.30 【電波新聞70周年特集】ヤマダ電機・山田昇代表取締役会長業界のことを理解できた〝恩人〟

山田 会長

独立して会社を立ち上げようと思った時、初めから電器店を経営しようと考えていたわけではありませんでした。何をやろうかと考えていた時に、10年間勤めたビクターで身に付けた、技術を生かした商売が良いと思いました。

 独立する前には、自分で市場調査をしたものです。週末になると、飛び込みでお客さま宅に伺い、「技術を生かした商売をしようと考えている」といったことを説明して回り、どれぐらいの反応が得られるかを調べました。

 当時は系列店が中心でしたが、お客さまを訪問してみると、意外なほど回り切れていないということが分かりました。中には「独立したら君の店から買うよ」と言ってくださるお客さまもいました。

 私は、ビクター時代から電波新聞を読んでいました。気になる記事はスクラップにしてまとめるなど、独立に向けて業界の知識を得るために、電波新聞をいっそう読みあさりました。

 電波新聞がなかったら業界のことを理解できなかったと思います。電波新聞は〝恩人〟とも言え、それ以来、電波新聞を読み続けています。

 電波新聞から初めて取材を受けたのは、混売店に移行したばかりのころでした。

 1973年4月に「ヤマダ電化サービス」として独立し、ナショナル(現パナソニック)ショップとしてスタート。その後、混売店に移行した時は苦労しました。

 系列店やメーカーが力を持っていましたので、混売1号店は店舗の入り口にバリケードを張られた上、販売できる商品も限られていました。

 しかし、それでも売れました。その時、混売という方向性は間違っていないと確信しました。現在では家電だけでなく、家電を軸にして住空間全体を提案できるような業態店も展開しています。

 ヤマダ電機は、生活基盤産業を提供する会社だと考えています。「つながる経営」を大事にする家電量販店のトップランナーです。だからこそ考え、様々な取り組みを進めています。

 電波新聞も時代に合わせて、電機関係ばかりでなく、新たな情報を発信していくことにこれからも期待しています。