2021.01.06 【中・四国版】重村俊雄CEOに旅行の魅力を聞く
重村代表取締役CEOと同社事務所
地球を歩き回った体験を社名に
オゾン発生器製造販売のアースウォーカートレーディングの重村俊雄代表取締役CEOは、知る人ぞ知る地球を歩き回った旅人でもある。社名の由来も旅と仕事を組み合わせたネーミングになっている。重村氏に当時の旅行の魅力を聞いた。
◇ ◇
――旅に出たきっかけは何でしたか。
重村CEO 大学卒業後、就職氷河期と言われる時代だったので就職が難しかった。大学を卒業してすぐに上海行きのチケットを買った。上海に行ってそこから西に向かって、半年くらいかけて旅をした。いつまで旅するか決めていなかったが、飛行機に乗らないようにしようと決めていた。
――それはなぜそう決めたのですか。
重村CEO 大陸の広さを感じたかったので、電車とバスを使ってロンドンまで行った。
――印象に残った国はありますか。
重村CEO 今思うと当時、シリアがすごく安全だった。こんな平和な街があるのかと思うくらいだった。日本人もたくさんいた。旧ローマ時代の遺跡があり、市場に毎日買い物に行って、いろんなものを見てという暮らしをのんびりしていた。今、行こうとする大きなリスクを伴うと思う。ガイドを付ければダマスカスだけだったら行けるかもしれないが、今は考えられない。もう二度と行けない。ダマスカスは本当にいい街で、毎日ゆっくり暮らしていける。退廃的ではあるが(笑)。
シリアに行くとベドウィン(アラブ系遊牧民・テント生活者)がいて、そのテントに泊まったりした経験は二度とできない。ほかの国だったらできるかもしれないが、シリアはもう瓦礫(がれき)の山になって不可能なので。今では行けないところに行けたということに感慨深いものがある。
――ほかに印象に残った地域や出来事は。
重村CEO ウイグル地区も中国の弾圧によって今や文化がかき消されているが、それより以前に行っていたのでイスラム教徒がしっかりいて、モスクがあって本当のシルクロードの街に行けたのでよかったと思う。
――当時の旅行のスタイルはどんな感じでしたか。
重村CEO インターネットのない時代だったので、海外に行くと同じ世代の人が世界中を旅行していて、西から東へ行く旅人と、東から西へ行く旅人がいた。大体、日本人の泊まる宿が決まっていることから、そこで情報交換するのが常だった。
――情報源として当時有名だった海外旅行用ガイドブック「地球の歩き方」とかは参考にされましたか。
重村CEO 確かに「地球の歩き方」などがあったが、あれは1冊で1カ国。何十カ国も行く人は何十冊も必要になり物理的に無理。皆さん、本は持たずに現地で情報交換していた。
例えば、そこに集まる前にいた町のことなど情報交換して、あそこのあの食べ物がうまかったとか、この宿には日本人が多くいたとか、情報の集まる宿はどこかなど話をして皆が旅行していた時代。当時はインターネットがなかったので、直接旅人同士が生の情報を持ち寄っていた時代。
――足を運んだ国はどの辺りですか。
重村CEO オーストラリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ロシア、イタリア、フランスなど11カ国を訪問した。
――重村さんにとって、海外をたくさん歩いたことを振り返ってどう思われますか。
重村CEO 楽しかった。人生の糧になった。旅をしてお金もなく貧しい中、それでも十分幸せだと感じていた。精神的に落ち込むこともなくタフになったと思う。
――社名も「アースウォーカー」ですね。
重村CEO 僕は世界旅行から帰ってからも旅を続けた。アルバイトをしたり、ヤフーオークションでモノを買ったり、売ったり。そこで稼いだお金で、またいろいろな国に旅行した。そのうち転売がきつくなり、自分の商品を持って貿易を始めた。
社名はユーラシアを歩いてきたので「アースウォーカー」。貿易をやるので「トレーディング」。「アースウォーカ-トレーディング」でいこうと決めた。