2025.10.18 キタノヤ電器元会長の北原國人氏が死去、全国電商連会長など歴任 合同葬で最後の別れ
長野県伊那市で開かれた合同葬
パナソニック系キタノヤ電器(長野県伊那市)は18日、9月7日に89歳で亡くなった元取締役会長の北原國人氏の合同葬をフラワーパレス(同市)で開催した。生前、関係の深かったパナソニックや地域電器店など、北原氏が発展に尽力してきた家電業界の関係者が多数参列。故人との最後の別れを惜しんだ。
その姿は生粋の「商人」
「地域店は日曜日も営業せにゃーならん」。私が取材に行くと毎回のようにこう力説していた。そしてこうも付け加えていた。「今の時代、こんなことを大っぴらには言いにくいけどな」。
豪気で親分肌。亡くなった北原さんの印象だ。一般家庭にとっては、土日は休日のことが多い。家族がそろうからこそ、家電の購入だけでなく、リフォームといった大型商談も決まりやすい。
「土日こそ地域店にとっての稼ぎ時」。何度も熱弁され、北原さんが生粋の「商人」であることに深く感嘆したものだ。
忘れられない出来事がある。何度目かの取材で、キタノヤ電器に向かっていた時のことだ。電車の中で携帯電話が鳴った。
「おい、今日来るんじゃなかったのか」
「今向かっているところで、電車の中です。予定通りの時間にお店に着きます」
「今日、東京で取材だと勘違いしていた。ちょっと店で待ってろ。すぐ行く」
東京から伊那まで今から戻るという行動力に圧倒され、「待っています」と告げて電話を切った。店で待つのも迷惑だろうと近くのファミレスで仕事をしていると再び携帯が鳴った。
「何で店に行ってないんだ。気にせず行って焼き肉でも食べてろ」
ファミレスで昼食を食べたばかりだったので散々断ったにも関わらず「いいから」の一言。キタノヤ電器の方からも電話をもらってしまったので断り切れず、店を訪れた後、仕方なく焼き肉を食べた。ただ不思議と、お腹いっぱいだったにも関わらずペロリと平らげることができ、その時の焼き肉の味も忘れられなかった。
その後、北原さんには取材に行くたびにその焼き肉店でご馳走になった。
1960年に北野屋商店電器部を創業して家電の販売に手を広げ、現在の礎を築いたのが北原さんだ。2009年には全国電機商業組合連合会会長に就任し、地域店の地位向上や業界の発展に尽力。14年には旭日中綬章を受章した。商売面でも、パナソニック系列店として全国トップクラスの年商を稼ぐまでに店を拡大した。
19年6月には店舗を移転新築。伊那市の目抜き通り沿いに建てた600㎡規模の新店は、カフェコーナーを設けるなど、大きさ、中身ともに地域店とは思えない店づくりに。北原さんはオープン日の朝、「これからの地域店の見本となるためにこの店を作った。他の地域店の刺激となり、皆でともに前に進んでいきたい」と新店に込めた思いを語っていた。
新しいことにチャレンジし続ける商人だった北原さん。20年11月には、店舗敷地内の一角に生食パンを提供する「銀座に志かわ」のFC店を開いた。家電と違い、賞味期限が圧倒的に早い生食パンの販売店の経営に、「生モノは勝手が違うなぁ」と苦虫を噛み潰したような表情をされていたのも、今となっては懐かしい。