2021.11.26 「音楽には国境はない」メキシコとの交流深めるヴァイオリニストの黒沼ユリ子さんに聞く

好きな言葉は「悪いことは良いことのためにしかやってこない」だという黒沼さん

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「世界に目を向けて」と語る黒沼さん「世界に目を向けて」と語る黒沼さん

 世界的ヴァイオリニスト、黒沼ユリ子さんは、メキシコと交流の深い千葉県御宿町に移り住み、同町を拠点に活動をしている。高齢であることもあって、今は一線を退いているが、「音楽には国境はない」と文化交流などに熱い思いを抱き、後進らを支援する黒沼さんに、音楽への思いなどを聞いた。

 ―メキシコで開いていた音楽院「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」が、惜しまれながら閉校して、来年で10年。メキシコへの恩返しのような思いで、音楽院を始められたと。

32年間、音楽院を運営

 黒沼さん 外国人である私を温かく迎え入れてくれたメキシコに貢献したいと、音楽院を80年から32年間、運営した。音楽を愛する生徒を育てる、いずれ後進を育ててくれるような音楽家を育てる、日本とメキシコの架け橋の一つになる、といった思いがありました。

 「架け橋」にという思いは、開講して間もないころ、思わぬ困難に見舞われる中で具体化した。当時のメキシコには、(2分の1や4分の1といった)分数ヴァイオリンで子どものうちから学ぶ習慣が普及しておらず、それもあって音楽院が貴重な存在になっていた中、1983年にペソの暴落があり、ヴァイオリンの輸入が難しくなってしまった。

 そこで、日本のメディアを通じて寄贈を呼び掛けた。分数ヴァイオリンは子ども用の靴と同じで、成長につれて大きなものに変えていく。前のサイズは押し入れに入ったまま、という家庭も少なくないからだ。すると、100丁以上の寄贈の申し出があり、しかも、ちょうどメキシコ直行便を開設した直後の日本航空が、メキシコまで空輸で支援してくれた。メキシコの観光会社もバス輸送で協力してくれました。

 日本から届いた中には、「私のヴァイオリンさん、さようなら。メキシコでも私の時のように良い音を出してね」といった、愛情のこもったお別れの手紙が添えられているものもあった。

 その恩返しにと、楽器の里帰りのような形で85年に生徒たちが訪日し、友好コンサートが実現した。多くの方の支援で、音楽を通じて日本の子どもたちの交流につながった。

 すると、その年、メキシコで大地震が起きた。子どもたちと音楽の縁でつながった方たちが、日本で1000万円もの義援金を集め、音楽院に寄せてくださった。それを国立小児科病院に寄付させていただいた。そこには、奇跡的な救出劇で生還し、「奇跡の赤ちゃん」と呼ばれた新生児らも保護されていた。後年、成長した当時の新生児たちをコンサートに招き、演奏を聴いてもらってもいます。

 私の好きなメキシコの言葉に、「悪いことは良いことのためにしかやってこない」(良いことのために来ない悪いことはない)という言葉があります。まさにその通りだと思います。

 ―教え子からは、アドリアン・ユストゥス氏のように世界で活躍する演奏家も出ています。

 黒沼さん 音楽院に在籍した生徒は1000人を超えると思う。細々と始めたのが、評判になってしまって生徒が増えました。その元生徒たちが、世界各地でまた次の世代を教えている。私はそうした種をまけたのかもしれないと思います。

 演奏はその場で消えていくもの。記録されてもそれは演奏そのものではない。唯一、音楽が消えず残るとすれば、それは誰かに受け継がれることによってだと思います。

 音楽院では、練習が苦痛な子どもには無理に続けさせないようにしてきた。演奏する側ではなく、聴く側になって楽しんでくれてもいいのだから。それでも、定員に対して希望者が順番待ちをするほど多く、日本で音楽教室を主宰する人から、「うちでは、生徒を引き留めるのに苦労するのに」と驚かれたこともあります(笑)。

 親御さんたちにお願いしたのは、「子どもたちをプッシュ(押す)はしなくていいから、サポートしてください」と。ただ、次第に文化が変わってきたのか、子どもを預けっ放しで、まるで託児施設と勘違いしているような親も増えてしまって。また、音楽教育も広がってきて、そこで音楽院に区切りをつけることにしました。

 ―国際的な企画などにも、さまざまに取り組んでこられました。

後進の支援続ける

 黒沼さん メキシコの歌手による日本語オペラ「夕鶴」の企画なども手掛けました。音楽には国境はなく、交流できる。そして、平和につながると思う。私自身は演奏の一線からは退いたが、後進の支援などを続けたい。

 また、音楽は人間愛、民族愛に根差したものでもある。例えば、スメタナやドボルザークの音楽は、チェコの人たちの心に生き、世界の人たちに愛されている。

 人類の歴史が始まって以来、音楽は共にあったと言っていいと思う。人は水や食べ物があれば生きていけるかもしれないが、音楽も必要です。音楽があるのとないのとでは、人生の質、クオリティーが全く違ってくる。音楽は生き物ではないが、意気消沈している人を慰め、人生の素晴らしさを教えてくれる。人は音楽と心を通わせ合うことができるのです。

 そして、演奏者にとって、やはり生での演奏が何より。たしかに名演を記録したものは貴重だが、料理でいえば缶詰。出来たてのものとは違います。演奏者は、聴衆に聴いてもらうことで学び、成長もする。私も例えば同じ曲目で巡演すると、その都度、新しい発見があった。その意味で、ライブの場があることはとても大事です。

 ―著作も多数、上梓しておられます。

 黒沼さん 音楽ではどうしても伝えられないことがあり、書くことでそれを伝えようとしてきました。

 例えば、先進国に暮らしていれば、蛇口をひねればきれいな水道水が出てくるのは当たり前。しかし、私はメキシコの山奥でも暮らした。そこでは、裸足で生活し、苦労して水を運び、一滴も無駄にしない生活を営んでいる。21世紀の今も、そうした暮らしをする人がいることにも、思いを致しながら暮らしていきたい。いくら文明が発達し、科学技術が進歩しても、命の尊さ、自然の大切さは変わらない。そうした思いも伝えたい。

 ―移住された御宿は約400年前、遭難したメキシコ船の乗員らを村民が献身的に救助したことでも知られますね。

世界に目を向けて

 黒沼さん ここを拠点にと14年に移住し、交流施設「ヴァイオリンの家・日本メキシコ友好の家」を開きました。メキシコから芸術家を招いたり、メキシコを紹介する催しなどで、交流活動を進めています。

 外から日本を見ることで分かることもある。外国はいわば、自分たちを映し出す鏡のような存在でもあります。その意味で、若い人が内向き志向になっているといわれるのは残念。もっと世界にも目を向けてほしい。

〈黒沼ユリ子さんの略歴〉

 東京生まれ。8歳から鷲見三郎の下でヴァイオリンを始める。1956年、桐朋学園高校音楽部在学中に日本音楽コンクール第1位。翌年、NHK交響楽団との共演でデビュー。58年、チェコ政府招待留学生としてチェコに留学。プラハ音楽芸術アカデミーでF.ダニエル教授より薫陶を受け、H.シェリングにも師事。同校在学中にチェコ現代音楽演奏コンクールで第1位受賞。62年同校を首席で卒業。同年、プラハ交響楽団と共演しヨーロッパ・デビュー。以来、国際的ヴァイオリニストとして著名なオーケストラ・指揮者と共演。また、日本の作曲家の海外の紹介にも力を尽くした。

 1980年メキシコ市に「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」を開設。弦楽器教育に力を注ぎ、メキシコの代表的なヴァイオリニスト、A.ユストゥスなど優れた演奏家を育てた。 2016年、千葉県御宿町に「ヴァイオリンの家・日本メキシコ友好の家」を創設。文化・芸術による社会の活性化に尽力。

 2012年旭日小綬章受賞。このほか、内外で多数の芸術文化に関する賞を受けている。

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