2023.01.06 【特別企画】量子コンピューターの未来 エヌエフホールディングス×藤井啓祐教授

高橋 常夫(たかはし・つねお)エヌエフホールディングス代表取締役会長

渡辺 啓仁(わたなべ・ひろひと)エヌエフホールディングス執行役員常務、基礎技術研究センター長渡辺 啓仁(わたなべ・ひろひと)エヌエフホールディングス執行役員常務、基礎技術研究センター長

藤井 啓祐(ふじい・けいすけ)大阪大学量子情報・量子生命研究センター副センター長、理化学研究所量子コンピュータ研究センターチームリーダー藤井 啓祐(ふじい・けいすけ)大阪大学量子情報・量子生命研究センター副センター長、理化学研究所量子コンピュータ研究センターチームリーダー

 量子コンピューターの開発競争が激しさを増している。スパコンをはるかに凌駕(りょうが)する圧倒的な計算速度が特長で、さまざまな社会課題の解決に道を開く可能性を秘める。エヌエフホールディングスは、低雑音の信号増幅器や電源などの技術で次世代コンピューター開発の最前線を支える電子計測器メーカー。大阪大学の藤井啓祐教授は米グーグルの「量子超越」に関する論文を査読した注目の研究者で、エヌエフのアナログ技術など日本企業の持つ高い技術力に大きな期待を寄せる。

低雑音増幅器・電源開発にはじまる

量子コンピューターとの出会い

 高橋 電子計測器メーカーである当社と量子コンピューターとの関わりは、1995年に超伝導素子を用いたジョセフソンコンピューターの研究用に低雑音増幅器と低雑音電源の開発を依頼されたころにさかのぼります。その後、この技術を基に、SQUID(超伝導量子干渉素子)を用いた脳磁場計測システム向けに多チャンネル信号処理システムを開発しました。

 これらの技術蓄積により、最近では量子コンピューターの研究で、増幅器や電源が使われています。

 藤井 私はものづくりがしたくて京都大学工学部に入学しましたが、量子力学の授業でその不思議な世界観に衝撃を受けました。

 量子力学の世界では異なった状態が同時に存在できるという「重ね合わせの原理」が基本にあります。そういう直感的に受け入れ難くて、われわれの古典的な世界観から外れた世界で動く量子を学び、完全に量子に魅了されました。

 一方で、ものづくりをしたい気持ちもありました。そんなとき、「量子という究極のミクロな世界を支配する物理法則を使ってコンピューターを作る」という本を手にし、これはまさに量子とものづくりの掛け合わせだと思い、それから量子コンピューターの研究に没入していきました。

技術で〝悪夢〟を〝夢〟に変える

 渡辺 当社の低雑音増幅器や低雑音電源などが量子コンピューターの研究で重要であると知って以来、より高性能な装置の開発に取り組んでいます。当社の電源を使ってよい結果が得られたという報告をいただいた時には、実に達成感がありました。

 多量子ビットのコンピューターの実現には計測器の小型化や低消費電力化が要求されます。当社の実装技術を使った小型システムで、日本の量子コンピューター研究を加速させたいと思います。

 藤井 私のような理論側とエヌエフさんのような実験側では見える風景や達成感が違うのですね。量子を制御する技術でノーベル賞を受賞したセルジュ・アロシュ氏が言うには「量子コンピューターは理論家にとっての夢だが、実験家にとっての悪夢だ」と。理論家は夢をどんどん膨らませますが、それを実際に作る実験家にとっては、究極的なスペックが要求されるので「悪夢」なのです。

 高橋 渡辺基礎技術研究センター長の下では、磁場制御や信号増幅など系全体の構成に関わるところで発生する雑音などを観測し、対策する技術の研究を進めています。その観測していることが、研究者には「悪夢」になるわけですね。当社の技術者が対策に取り組んだ結果、悪夢の「悪」の部分を取り除くことができました。悪夢を夢に変える―それが当社の役割ですね。

究極のスペックへの挑戦続く

量子研究の現在

 高橋 理論研究から見るとどこまで進んでいますか。

 藤井 グーグルが量子コンピューターのハード開発に乗り出した2014年ぐらいからガラッと変わりました。米カリフォルニア大学サンタバーバラ校のジョン・マルティニス教授をグループごと巻き込んで研究を始めました。そのマルティニス教授をグーグルに行く1週間前、日本で開かれた国際会議でアテンドした時、空気が変わるのを肌で感じました。

 ただ、そこから量子ビット数を増やすのはかなり大変で、基礎的な技術開発が続けられたこの数年、エンジニアリングが悪夢と向き合ってからの技術の進展は大きい。その道の人が工学的な問題として取り組めば、実はそれほど悪夢ではないことがたくさんあったと思います。

 渡辺 工学系にはプレッシャーが続いています。当社の電源はノイズフロアレベルが世界一低い製品ですが、国産量子コンピューター開発に求められるスペックへの挑戦はまだまだ続くと思います。

量子コンピューター開発は「アポロ計画」

 藤井 量子コンピューターを作る取り組みは、あらゆる面で究極的なスペックが求められる「アポロ計画」。量子コンピューターの実現を目指す中で技術開発が進むと、その技術が計測やセンシングなどさまざまな分野で応用されることに期待しています。

 高橋 当社は創業当時、コンピューターの黎明(れいめい)期にネガティブフィードバック(NF)技術を用いてフリップフロップ回路を開発しました。その技術が低雑音の計測器に応用され、今では量子コンピューターの研究に使われている。コンピューターへの関わりが、当社の技術の原点だったと思えます。

 藤井 アナログの物理世界と戦っているのが今の量子コンピューターで、「量子誤り訂正」の段階に至るまでがいばらの道のアナログ世界です。アナログ技術は量子コンピューターにとってすごく重要ですが、アナログに限らず、今日本にある技術で使える技術はたくさんあるはずです。その分野の専門の技術者が集まることで、かなりの悪夢が解決できると思っています。

革命的に科学技術の可能性を広げる

量子コンピューターの可能性

 高橋 社会は量子コンピューターにどんな期待をしているのでしょう。

 藤井 量子力学は、自然界の最も根本的で普遍的な物理法則。その物理法則と全く同じルールで動くコンピューターとは、いわば宇宙の箱庭ができるようなものです。隅々まで量子力学で制御可能なプログラムができるコンピューターは、革命的に科学技術の可能性を広げていくと思っています。今まで見えなかった物理現象や複雑な現象の解明が期待されます。

 高橋 当社は「量子ソフトウェア研究拠点」(QSRH)に参画していますが、国内の連携の動きをどう見ていますか。

 藤井 国内の量子技術を結集し、産学官一気通貫で取り組む拠点を形成する動きが「量子技術イノベーション拠点」で、私は、大阪大学が主導する関西唯一の拠点であるQSRHで課題リーダーとして活動しています。量子コンピューターの実機を理化学研究所と協力して、阪大内に立ち上げました。

 エヌエフさんの電源など国産技術を持つ企業にも参画してもらい、量子コンピューターの利用を推進しています。学生と産業界をつないで、広く量子コンピューターの技術を育てるのが目標です。産業界に多くの量子人材を送り出すシステムを作り上げたいと思っています。

「量子技術があふれる世界」へ

 渡辺 量子コンピューターの技術が確立すると、計測技術も、今とは全く違うものが出てくるでしょう。新しい計測領域にも果敢に挑戦したいと思います。

 高橋 エヌエフグループ各社は、常にスタートアップスピリッツを持って事業を展開しています。「悪夢」を夢に変えられるよう、技術をさらに追求したいと考えています。

 藤井 私は量子コンピューターが本当に産業界に羽ばたくところを見てみたいですね。量子計測や量子通信、量子インターネットなど量子技術があふれる世界、社会インフラの中に量子技術が溶け込んだ世界になれば、もっと面白い量子コンピューターの使い方が出てくるかもしれません。私はそれを誰よりも先に見つけたいです。

 高橋 そのターゲットに向けて私たちも貢献できるよう頑張っていきたいと思います。