2025.07.30 【親子リレー対談】 シダ家電販売(山形市) 父…志田貞治社長 子…志田達輝さん
チラシを見ながら打ち合わせをする貞治社長(右)と達輝さん
達輝さん 自分で商学院への入学決めた
貞治社長 「電器屋を継ぐ」すごくうれしかった
【山形】パナソニック系のシダ家電販売(山形市、志田貞治社長)では、長男の達輝さんが入店してから5年4カ月がたち、貞治社長と共に顧客宅訪問や販売、修理など、さまざまな仕事を担当している。現在は一人での仕事も少しずつ増え、店の売り上げにも貢献。貞治社長は「入店直後は少し心配な部分もあったが、工事や接客の部分は心配なくなった。今後は売り上げの拡大や顧客の新規開拓に注力してほしい」と話す。
貞治社長 初代の、父・貞利はシャープの社員だったが脱サラして家電店をオープンさせ。小学生時代から自然の流れで、アンテナ工事など家業の手伝いを行っていた。高校の先輩に松下幸之助商学院に入った人がいたり、周りの勧めもあり、商学院に入学した。その時に親の仕事を継ぐんだと改めて感じた。
達輝さん 社長の家業を継いだ経緯については初めて聞いた。小学生の時に親の職場訪問があり、エアコンを設置している姿を初めて見た。作業が終わった後、楽しそうにしていた様子は今でも鮮明に記憶している。
その後は家業を手伝うこともあまりなかったが、高校時代に商品配達を少し手伝ったような記憶がある。高校卒業を前に進路について考えた時、商学院に行くことを決めた。特に親に強く勧められることはなく、自分で入学することを決めた。
貞治社長 個人的には、将来店を継いでほしいこともあり、創業地である現在地に新店舗を建設し、住居部分と分けた。仕事場と住居を分けることで、プライベートも大事にしながら仕事に集中できるようにと考えた。
私が記憶しているのは、息子が中学3年生の野球部の部活の終わりのこと。部員それぞれが将来について親や部員の前で発表する機会があり、息子は「電器屋を継ぐ」と発表した。すごくうれしかったことを今でもしっかり記憶している。
達輝さん その時のことはあまり記憶していない(笑)。同じ部員の中に家業を継ぎたいと発表した部員がいて、その雰囲気の流れもあり言ったような気もする。高校は普通科に入学したが、家業を継ぐとの思いから商学院に入学した。
入学初日には、慣れない雰囲気でこれから大丈夫だろうかと不安に思った。同期入学した人は少なかったが、今は仲間同士で連絡を取り合っており、貴重な10カ月を過ごしたと思っている。
貞治社長 達輝の入学式、3者面談時など3回ぐらい商学院を訪問した。学生時代から人前などで話をすることが苦手だったため、先生にはその点を克服できるようにしたいと伝えた。充実した研修のおかげで、苦手なことにもチャレンジし、学生時代とは変わったと感じた。
卒業後の他店研修も地元の若いスタッフがいる店でやらせたいと決めていて、商学院、販売会社と話し合い、県内で研修することが決まった。
達輝さん 地元での研修が決まり良かったと思っている。日本海側の地域店で、風土は違っていたが、若い人が多く、スムーズに仕事に入り込むことができ、販売店での基礎を学ぶことができた。
貞治社長 他店研修では「街のでんきやさん」ならではの、お客さまとの触れ合いを多く持つことや、エアコン工事などの技術の向上を図ることなどを経験してきたようだ。研修先の店には大変お世話になり、感謝している。
自店に入店したのが2020年で、5年経過した。3年ぐらいで一人前になってほしいと思っていたが、私自身が指導というよりも一緒に仕事ができる喜びの方が勝ってしまい、少し親として甘い部分もあるかなあと感じている。
達輝さん 最初は社長と行動を共にする機会が多く、顧客宅を訪問するなどしていた。お客さまとの会話も、少し苦手だと思った時期もあったが、今は日常会話や困り事の相談などさまざまなことについて話をしている。
イベントなどの招待状配布も、直接会って招待状を手渡ししながら会話できるいい機会となっている。
貞治社長 工事や接客は心配ない
貞治社長 エアコン設置などの工事やお客さまとの接客を見ていると心配はなくなってきたように思う。ただ、売り上げをもっと上げるように取り組む情熱が少し足りないと感じる。毎月販売会議を行い、その月の活動や重点商品などについて話し合いながら販売に当たっている。
達輝さん 信頼される店づくりを
達輝さん 他店で購入した商品などの修理依頼の新規客が舞い込むこともあるが、その都度の対応でそれっきりになるケースが多い。こうした新規客をどう次の販売へつなげていくか、どうアプローチして「街のでんきやさん」の良さを知ってもらうか、今後注意しながら取り組むようにしていきたい。
お客さまも高齢化してきており、ますますきめ細かな対応が必要だと感じている。同時に若い世代の方に対しても継続したお付き合いに結び付くような信頼される店づくりに取り組んでいきたい。
シダ家電販売 プロフィル
1969年8月28日、初代の貞利社長が北山形駅前のスーパー2階に「宮町電化センター」としてオープンした。翌年4月、近くの地にシャープの店舗として移転。73年6月、初めに出店したスーパーの目の前にナショナルショップ店「シダ家電販売」を開店。83年2月、店舗から数十メートル離れた自宅横に店舗を移転オープン。96年、貞治社長の結婚を機に自宅兼店舗に改築した。11年12月、最初に出店したスーパーの跡地に、夢ハウスとして新装オープンした。今年8月で創業56年を迎える。
初代の貞利社長は24年2月に亡くなった。現在は、貞利社長の妻・節子さん、2代目の貞治社長、妻の史代さん、長男の達輝さんの4人体制。